Arabica — 世界の六割を占める、繊細な主役
2026-07-02
スペシャルティコーヒーと呼ばれるものの大半は、このArabica(Coffea arabica)です。世界の生産量のおよそ六割を占め、香りの複雑さと酸の質において他の種を圧倒します。しかしその魅力は、栽培のあらゆる困難と引き換えに成り立っています。
エチオピア南西部の森から
原産地はエチオピア南西部の高地林と考えられています。Kaffa、Gesha、Yirgacheffeといった地名は、今日でも産地名として世界の店頭に並んでいます。野生のArabicaは今もこの一帯の森に自生しており、遺伝的多様性の宝庫として保護の対象になっています。
植物学的に見ると、Arabicaは特異な種です。CanephoraとEugenioides(Coffea eugenioides)の自然交配によって生まれた四倍体で、染色体を四十四本持ちます。他の多くのコーヒー種が二十二本の二倍体であるのに対し、Arabicaだけが倍の遺伝情報を抱えている。この出自が、複雑な香味成分を生む土台になっていると考えられています。
Compare
三つの種を並べる
イエメンから世界へ
栽培作物としてのArabicaは、まずアラビア半島のイエメンで本格化しました。モカ港から積み出されたことが「Mocha」という名の由来です。十七世紀末、オランダ人がイエメンの苗をジャワ島へ持ち出し、その一部がアムステルダムの植物園へ、さらにパリを経て一七二三年にカリブ海のマルティニーク島へ渡ります。中南米に広がったコーヒーの多くは、この極めて少数の苗を祖先に持ちます。
一方、フランス人が十八世紀初頭にイエメンからブルボン島(現レユニオン島)へ運んだ系統は、後にBourbonと呼ばれる別の大きな流れを作りました。TypicaとBourbon。この二つの祖先系統から、現在の主要品種の多くが枝分かれしています。
Route
Arabicaが世界へ渡った、二つの道
- エチオピア南西部原産地野生のArabicaが今も残る高地林
- イエメン(モカ港)栽培の始まりモカ港から積み出された
- ジャワ島17世紀末オランダ人がイエメンの苗を持ち出す
- アムステルダム1706年植物園へ送られる
- パリ1714年ルイ十四世に贈られ、王立植物園へ
- マルティニーク島1723年Gabriel de Clieuが苗を運ぶ。中南米のTypicaの源流
- ブルボン島(現レユニオン島)18世紀初頭フランス人がイエメンから運ぶ。Bourbonの名の由来
- アフリカ大陸19世紀半ば以降宣教師や入植者の手でアフリカ大陸と中南米へ
繊細さという弱点
Arabicaは自家受粉するため、遺伝的多様性が極端に狭いという弱点を抱えています。世界中で栽培されているArabicaの遺伝的な幅は、エチオピアの野生個体群のごく一部を切り取ったものに過ぎません。この均一さが、病害に対する脆弱さに直結しています。
Pollination
受粉のしかたが、遺伝の幅を決める
Arabica自家受粉
自分の花粉で実をつけられる。そのぶん遺伝的な幅が狭く、病気が広がりやすい。
Canephora他家受粉
自分の花粉では受精できず、別の株の花粉が要る。遺伝的な多様性が保たれ、環境への強さにつながる。
さび病(Hemileia vastatrix)は十九世紀後半にセイロン島のコーヒー産業を壊滅させ、その土地を紅茶の島に変えました。今日でも中南米で周期的に大流行を起こしています。気温が高すぎても実がつかず、標高千メートル以上の涼しい環境を必要とすることも、気候変動下では深刻なリスクです。
味の輪郭
カフェイン含有量はおよそ一・二パーセントと、Robustaの半分程度。その代わり脂質と糖が多く、これが花や果実を思わせる香りと、明るい酸の質を生みます。標高が高いほど実の成熟がゆっくり進み、糖の蓄積が増えるため、高標高産のArabicaは酸と甘さの層が厚くなります。
私たちが扱うLâm Đồng省Cầu ĐấtのArabicaは標高千四百メートル。ベトナムはRobustaの国という印象が強いのですが、北西部や中部高原の一部には、こうしたArabicaの適地が確かに存在しています。


